花九曜印について

~About Hanakuyoujirusi~

標高の高い山々に囲まれ、清澄な水と空気の地として知られる信州。
原田商店では、そのさわやかな風土で育まれた信州の作物を使った名産品を製造し、
花九曜印としてお届けしております。
明治19年の創業時より、原田家の家紋である九曜星を図案化し「花九曜印(はなくようじるし)」と命名しました。
花九曜印は長い歴史の中で地元の皆さまはもちろん、お土産品として県外の方からも愛され、
信州を代表するブランドのひとつとなりました。
今後も伝統を守り、さわやかな信州のおいしさを届け続けます。

長年愛され続ける理由

昔ながらの製造方法

昔ながらの製造方法にこだわり、創業時から変わらぬ味を守り続けております。
どこか懐かしい風味が長きにわたり多くの皆様に親しまれています。

可能な限り無添加

安心してお召し上がりいただくため、極力添加物は使用していません。
素材本来の色合いや甘みをお楽しみいただけることで、幅広い年代の方に愛されています。

信州産原材料へのこだわり

原材料は長野県産のものを使用しています。
地の物にこだわることで、信州の名産品として高い評価をいただいております。

人にも環境にも優しい商品

添加物を極力使わない製造方法で、人にも環境にも優しい商品にこだわっています。
お子様からお年寄りまで、家族みんなでおいしくお召し上がりいただけます。

だから、花九曜印の商品は創業以来、多くの方に親しまれてきました。
長年愛され続ける花九曜印の逸品をぜひご賞味ください。

ONLINE SHOP

原田商店公式オンラインショップ

信州の珍味「蜂の子」「いなご甘露煮」をはじめ
花九曜印の逸品を是非ご賞味ください!

原田商店の歴史

~History~

明治19年 歴史の始まり

明治19年、創業者である原田金助は、洋酒・缶詰・乾物・雑貨などの取扱いで事業を開始しました。
その後明治30年には、今も親しまれ続けている商品である、かりん・蜂の子の製造も開始。
原田商店のかりん商品や蜂の子商品の歴史は、ここから始まりました。

缶詰製造で成長した大正時代

大正7年、原田缶詰工場(長野工場)にて杏の製造が始まりました。
しかし杏の原料は確保が難しく製造品のみでは厳しかったため、同時期に卸売も開始しました。
大正12年には広島県で開催された「大日本缶詰大会」に出席。当時、広島県は日本一の缶詰産地でした。

波乱を乗り越え満州進出

昭和2年、原田缶詰工場を閉鎖し原田金助商店を開始しましたが、火事により一時閉店、昭和10年には不況が深刻化し、倒産の危機に陥ります。
同時期に2代目原田芳雄が就任し、三味(山・海・湖3つの味)を開店しました。菓子・魚・漬物・玩具を取り扱っていました。
昭和16年、漬物工場を買い取り、味噌漬・奈良漬を開始。満州進出に伴い三味は一時閉店となりました。
満州漬物食品会社は国策会社の支援もあり、事業は順調でした。その後昭和21年に帰国し、昭和22年にラッキー印のマヨネーズを製造開始しました。当時は油の統制が厳しく、くるみ油を使用していました。

株式会社原田商店の創立

昭和23年5月、現在の株式会社原田商店として創立しました。
休止していた蜂の子・かりんも復活し、長野初の印刷缶として大好評をいただきます。また終戦後、花九曜印は昭和天皇の宮内庁納めとなりました。
蜂の子が大豊作となった昭和33年頃からは、岐阜や名古屋へも販路を拡大させていき会社は順調に成長していきます。

これからも変わらぬ味を守り続けます

明治の創業以来、大正、昭和、平成、そして令和と受け継がれてきた花九曜印は、現在ではインターネットを通じて、全国どこからでもお求めいただけるようになりました。
これからも花九曜印が信州の味として多くのお客様に愛され続けるよう、創業当時の味や製造方法を守りつつ時代のニーズに合わせ、新しい事業にも挑戦してまいります。

お問い合わせはこちらよりお願いいたします

0266-58-2525(代)

株式会社 原田商店

〒392-0131 長野県諏訪市湖南3820-1

0266-58-2525

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土曜日・日曜日・祝日